浦和の鰻(続)

中仙道 浦和宿本陣は 代々 星野権兵衛が務めた。 

星野家はまた 紀伊徳川家鷹場の鳥見頭取でもあった。

(将軍家は戸田・岩渕、尾張家は荒川西岸、水戸家は元荒川東岸、紀伊家は大宮・浦和・大門が 鷹場であった。

 鳥見役は、鷹狩の対象たる鳥の居付きを維持する役で、その為 河川の漁を許可鑑札して 餌の魚を維持する役でもある。)

星野家が 鳥見の一人たる会田家(大門)に対し、「江戸赤坂の紀伊中屋敷に上品鰻50本x2籠を飛脚で届けよ、

残りの鰻は星野へ差し出せ」 と命じた文書が残っている由。

山崎屋平五郎は 中仙道で星野家(本陣)の向かいに店を構えて 蒲焼商を営んだ。 恐らく 星野家から回された鰻を

扱って商いとしたものだろう。  

即ち、河川で漁の権利を許された漁猟人を抱える村々が、その義務として献上した紀伊家宛ての上品鰻の残余品が、

巡り巡って浦和宿名物となったものであり = いわば有難い格上の「献上鰻」でありました。

クラちん

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