小島屋のうなぎ
私の祖母が鰻が好きで、子供の頃「幸楽園」と言う鰻屋に良く連れて行ってもらった。入り口の上がり框が大きなケヤキの一枚板だった事を覚えている。小学生の頃、東の窓から遠くに大きな火事が見えた事を今でも覚えている。幸楽園が全焼だった。幸楽園は再建されたが、今は見る影もない。数年前に一度行ったが、客が来ても店員がテレビを見ていてサービスも悪いし、味もイマイチだった。
祖母から聞いた話だが、小島屋は、田んぼの中の一軒家で、お客が来ると「お客さんだよ〜」という声を聞いて田んぼから鰻を捕ってきてこれを捌いて焼いて出すと聞いた。田舎臭くのんびりとしていたので、祖母は幸楽園の方を好んでいた。幸楽園が火事になった後、小島屋はゴルフ帰りの客をうまく取り込んで大きくなった。祖母が亡くなる前、私の法事は精進料理よりも鰻の方が良いと言い残したので、毎年一回は小島屋に行った。
15年前浦和に戻ってからも時々小島屋に行き、友人が来ると小島屋に連れて行った。しかし、店員の態度が「うちの店は格が高いのだ」と威張った感じで、皮が固く、鰻以外の料理も殆ど出さないので、孫達の食べるものがある谷田川に行く事が多くなった。
先週、一年振りに小島屋に行った。値上がりしていた。一番安い鰻重の松(肝吸とお新香付)が¥5000だった。
2020年に「ほんもののウナギをお腹一杯食べられる」をキャッチフレーズでスタートした「鰻の成瀬」は一番上の松が¥2600(梅は¥1600)。どう違うか一度食べに行って見ようと思っている。
この記事を書きながら一寸浦和の鰻の歴史を調べてみた。どうも一番古いのは山崎屋(小学校の同級生の椎名の家)で江戸時代に紀州藩邸に献上し昭和天皇も食されたとある。小島屋は創業200年、萬店は明治19年、満寿屋は明治21年、幸楽苑は昭和5年、谷田川は昭和47年創業と有った。
小島屋といえば・・・
平成元年 父が死んだ。 連続的な3回の手術の挙句だった。 「家に帰りたい」と言ってたので、葬儀は我が家で行った。
会社関係の方々が来て下さったが、後日 上司から「実は葬儀後に かねて行きたかった小島屋に寄った」と聞いた。
それで、その後 父の命日には 小島屋で親戚が集う事にした。 和室で 田舎風の草鞋大の大鰻と 鯉の洗いは旨くて
皆も(父も)よろこんでくれたと思う。 大鰻が食べきれず オリに入れて持ち帰る親戚も居た。
近時、孫と小島屋の和室一般席に上がったが、落ち着かないのと 孫は鰻がイマイチらしかったので、以後は寄っていない。